半井(なからい)のいわれ
半井(なからい)家は、我が国の典薬頭(皇室関係の医療組織の長)として不動の地位を長年保っていました。これは我が国の医家の名門として最高の地位にあったと言えますが、「半井」の本姓は「和気」であり、和気清麻呂の子孫にあたります。さらに十数代遡ると垂仁天皇へ行き着きます。
和気家は京都御所施薬院の故地(京都御所内の烏丸通りに面した正親町、現在の中立売)に住み、そこで典薬頭として仕えていましたが、その邸内に大井戸があり、その水が極めて清らかで美味であったので、その井戸水の半側で主上の御薬を製し、残りの半側を自家の日常用水に充てていました。そのことが後柏原天皇の叡聞に入り、天皇から「半井」という姓を贈られ、以来「和気」を「半井」と改めました。
「医心方」
『医心方』(全30巻)は、日本に現存する最古の医学書です。「医心方」の元本には、半井家に伝わっていたものが使用され、半井家本はその後国宝となり、現在は東京国立博物館が所蔵しています。
京都国際マンガミュージアムの大時計
京都市中京区にある、旧 龍池小学校(現 京都国際マンガミュージアム)の校長室には、当社三代目の半井万助(萬紹:まんすけ)が寄贈した大時計が、紹介パネルとともに時を刻んでいます。
この時計は、1929年(昭和4年)小学校の校舎が竣工した時に、半井万助が記念として寄贈したものです。
半井万助(萬紹:まんすけ)
明治8年12月、二代目万助の長男として誕生。幼名は、半井市太郎。その後、三代目万助を襲名。半井家は1846年、初代万助が和漢商を創業。三代目万助は、ドイツ化学薬品を直輸入を開始し、当社の礎を築いた。昭和27年6月、78歳にて没。